「ごんぎつね」の授業[1]構造よみ-クライマックスはAかBか?[板書案]
【国語小4教科書掲載/光村図書出版ほか】
「ごんぎつね」(新見南吉)とは?
「ごんぎつね」は、新見南吉(1913年〜1943年)の作品です。1932年に雑誌『赤い鳥』で発表されました。
教科書には1956年に大日本図書に掲載され、1980年からは全ての小学校国語教科書で掲載され続けています。
「ごんぎつね」はさまざまな出版社より刊行されています。右はあすなろ書房から出版されている絵本です。
「ごんぎつね」の全文は青空文庫でも読むことができます(句読点や漢字使い・仮名使い等は教科書と異なる部分もあります)。
「ごんぎつね」の授業ポイント
「ごんぎつね」は、ごんと兵十の出会い、誤解、すれ違い、撃つ・撃たれる、誤解が解けるなどにより成立しています。クライマックスでそれまでの事件の流れがすべて収斂されるかたちになっています。
「ごんぎつね」授業ポイント
- 二つの候補のどちらがクライマックスとしてふさわしいかを、作品全体を俯瞰しながら考える。
- クライマックスに向けて仕掛けられた伏線を展開部から見つけだし、読み深める。
- 伏線とクライマックスの関係を中心に主題を把握し、作品を多面的に評価する。
「ごんぎつね」の構造
まずは作品の構造を読んでいきます。この作品は、導入部―展開部―山場から成る三部構造Aです。
導入部
「ごんぎつね」の冒頭は次のとおりです。
これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお話です。
導入部ではごんの人物紹介がされます。この後の事件で意味をもつ人物像が示されます。
これらの詳しい読み取りは次の段階の形象よみで行います。
「ごんぎつね」というきつね
ひとりぼっちの小ぎつね
いたずらばかりしました。
展開部
発端
次の一文がこの作品の発端です(2の場面・前半)。ここからごんと兵十の出会いに向かって、事件が動き出します。
ある秋のことでした。二、三日雨がふり続いたその間、ごんは、外へも出られなくて、あなの中にしゃがんでいました。
それまでの導入部では「〜住んでいました。」「〜いたずらばかりしました。」など長い期間の日常をまとめて説明していますが、「ある秋のこと」から時間が絞られる書かれ方に変化します。
山場
山場は次の一文から始まります(6の場面・前半)。ここからクライマックスに向かって事件の流れが大きく変わっていきます。
その明くる日も、ごんは、くりを持って、兵十のうちへ出かけました。
クライマックスはAかBか
山場からクライマックスを探していきます。クライマックスの候補として次のA・B二箇所が挙げられます。
兵十は立ち上がって、なやにかけてある火なわじゅうを取って、火薬をつめました。 A そして、足音をしのばせて近よって、今、戸口を出ようとするごんを、ドンとうちました。
ごんは、ばたりとたおれました。
兵十はかけよってきました。うちの中を見ると、土間にくりが固めて置いてあるのが、目につきました。
「おや。」
と、兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。
B 「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました。
A・B共に描写性が高く、緊張感があります。Aは主要人物の兵十が、もう一人の主要人物のごんを撃つ衝撃的な場面です。Bはそれまで誤解していた兵十が、その誤解を解消するという大切な部分です。
ごんぎつねの主要事件とは何か
A・Bともにそれなりにクライマックス的要素をもっています。ですから、「6」の山場だけを検討しながら作品のクライマックスを決めようとしても限界があります。
「ごんぎつね」のクライマックスを決める際に大切なのは、この作品を俯瞰的に振り返りながら「主要事件」とは何かを読み直すことです。
ごん→兵十への見方
作品の展開部では、ごんの兵十への思いが繰り返し描かれます。ごんの兵十への思い・共感はどんどん強くなっていきます。
ちょいと、いたずらがしたくなったのです。
ごんの兵十をからかう気持ち。→いたずらをする。
ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった。
自分のしたことへのごんの強い後悔。
「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か。」
ごんの兵十への共感。
兵十のうちのうら口から、うちの中にいわしを投げ込んで、あなへ向かってかけもどりました。
ごんの兵十へのつぐない。→この後、つぐないが継続しエスカレートしていく。
兵十のかげぼうしをふみふみ行きました。
ごんの兵十への親しみあるいは思慕。
そのおれにはお礼を言わないで、神さまにお礼を言うんじゃあ、おれは引き合わないなあ。
兵十に自分のしていることを知って欲しいというごんの強い思い。
兵十→ごんへの見方
しかし、ごんの思いは兵十には全く伝わりません。ごんは兵十に「ぬすっとぎつね」と誤解され続けます。兵十のこの見方は、山場の「6」まで継続したままです。
「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」
兵十のごんへの怒り。
こないだ、うなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。
兵十のごんへの怒り・恨みが続いています。
これらのすれ違いが事件の主要な要素です。つまり、「ごんが兵十をどう見ているか」「兵十がごんをどう見ているか」の相互関係(すれ違い)こそが、この作品の主要な事件ということになります。
とすると、クライマックスは、ごんと兵十のすれ違い・認識のズレが決定的に変化し、解消される箇所です。
「B」では...
- ごんと兵十のすれ違いが解消する→「解決」する。しかし、同時にごんの死によって「破局」も訪れる。
- 「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」は会話文で描写性が高い。倒置法というレトリックも使用されている。
- 誤解による悲劇という主題もみえてくる。
上記からクライマックスはBということが読み取れます。
クライマックスを探る授業展開・発問例(板書案)
授業展開・発問例
クライマックスだと考える箇所とその理由を、まず個人で考え、次にグループで話し合います。その後の学級全体での読み取りを行います(探究型授業で行うのがおすすめです)。「A案」「B案」のほか「C案」などが出てくるかと思います。ただし、大筋で「Aに近いか」「Bに近いか」の二つに大別して検討を進めていきます。
クライマックスの根拠を探す際にはじめは「6」の山場だけを見ている子どもが多いため、先生は次のような助言をします。
そうすることで子どもたちは「5」以前に着目し出します。そして、この作品の事件は「A」に向かっているのか、「B」に向かっているのかを作品全体を通して読み直します。この作品の「伏線」に着目することでもあります。
1の場面で兵十が言った「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」がここに繋がっています。16頁の十行目です。
以上のようにクライマックスとその理由を探っていきます。「5」の「そのおれにはお礼を言わないで、神さまにお礼を言うんじゃあ、おれは引き合わないなあ。」などを指摘する意見も出てきます。
その上で兵十のごんに対する見方と比べていきます。
兵十はごんに対してどう思ってる?
板書案
クライマックスを見つけ出す際の板書例は次のとおり(01)です。クライマックス箇所の本文は補助黒板に貼って出しておく(02)ようにします。
拙著『増補改訂版 国語力をつける物語・小説の「読み」の授業 ―「言葉による見方・考え方」を鍛えるあたらしい授業の提案 』では、「ごんぎつね」の更に詳しい教材研究を紹介しています。ぜひご覧ください!
掲載教材:「モチモチの木」「ごんぎつね」「走れメロス」
次回は、形象よみに入っていきます。まずは導入部の形象を読み深めていきます。
📕注:本文は、小学校国語教科書『国語四・下』(光村図書出版,2015年)による。