「字のない葉書」の授業[1]構造よみ-作品の構造を考える[板書案]

「字のない葉書」の授業[1]構造よみ-作品の構造を考える[板書案]
今回の教材:「字のない葉書」向田邦子 作
【国語中1〜中2教科書 掲載/光村図書出版ほか】
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「字のない葉書」(向田邦子)は、中学校1〜2年の定番教材です。
これから五回にわたって、「字のない葉書」の授業で役立つ教材研究や発問例を提案していきます。
第一回目では、「字のない葉書」の作品の構造を捉えていきます。

▶︎「字のない葉書」の授業 全五回 [1] [2] [3] [4] [5]

今回は「構造よみ」段階にあたります。未読の方は、先に「物語の新三読法について」と「構造よみの授業」をご覧ください。

「字のない葉書」(向田邦子)とは?

 「字のない葉書」は、向田邦子の作品です。向田邦子(1929年~1981年)は、脚本家であり、随筆家であり、小説家です。
 「字のない葉書」は、1976年に雑誌『家庭画報』に発表されました。
 教科書には1987年に光村図書出版に掲載されたのが最初です。その後、多くの教科書会社が掲載しています。教科書で約4ページの短い作品です。

 「字のない葉書」は、向田邦子の随筆集『眠る盃』(講談社)に収録されています。2019年には、文・角田光代、絵・西 加奈子で絵本化(小学館)もされました。

「字のない葉書」のあらすじ

 「字のない葉書」は、「私」が三十年以上経過した過去の出来事を回想するかたちで書かれています。

 1945年の夏に妹が学童疎開をするところから事件は始まります。一人で甲府に行く妹に父は自分宛の葉書を大量に渡し、「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい。」と言います。妹から届く葉書は、はじめは大きなマルですが、だんだん小さくなりバツに変わり、やがて葉書さえ来なくなります。

 三月目に母が迎えに行くと、妹はしらみだらけの頭で寝かされています。母が妹を連れて帰ると、父は裸足で表へ飛び出し大泣きしながら妹を迎えます。

「字のない葉書」の授業ポイント

 「字のない葉書」は、丁寧な伏線と劇的なクライマックスという見事な仕掛けの作品です。
 クライマックスとその伏線に注目すると作品の主題が鮮やかに見えてくる典型性をもっています。

「字のない葉書」授業ポイント

  1. クライマックスに着目する。
  2. クライマックスに向けて準備された導入部・展開部の伏線の仕掛けを読む。
  3. 主題を把握し、作品を主体的に評価する

 高度な小説の読み方を中学生が学ぶのに大変適した教材です。

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本作は、「随筆」として書かれたものですが、構成・構造上も、描写・レトリックも完全に小説としての内実をもっているため、ここでは小説として取り上げます

「字のない葉書」の構造表(板書案)

 まずは、作品の構造を読んでいきます。この作品は、導入部―展開部―山場―終結部の四部構造です。

 板書に落とし込むとこのようになります。

導入部

 「字のない葉書」の冒頭は次のとおりです。この始まり方から、このあとのプロットが過去の回想である可能性が高いことが予想されます

 死んだ父は筆まめな人であった。

 導入部では父の「暴君」的な人物像や父と「私」の関係が述べられます。

「おい、邦子!」
と呼び捨てにされ、「ばかやろう!」の罵声やげんこつは日常のことであった

 ふんどし一つで家中を歩き回り、大酒を飲み、かんしゃくを起こして母や子供たちに手を上げる父の姿—

 導入部の最後には、暗示的一文が入ります。重要な設定でクライマックスへの伏線になっています。

 最も心に残るものをといわれれば、父が宛名を書き、妹が「文面」を書いた、あの葉書ということになろう

展開部

発端

 次の一文がこの作品の発端です。

  終戦の年の四月、小学校一年の末の妹が甲府に学童疎開をすることになった。

 ここから「字のない葉書」をめぐるこの作品の主要な事件が始まります。末の妹と父との関わりを軸とした事件です。また、この家族にとって、それまで手放さなかった末の妹を学童疎開というかたちで手放すという新しい出来事です。典型的な発端と言えます。

山場

 山場は次の一文から始まります。児童疎開していた末の妹が帰ってくる日です。

 妹が帰ってくる日、私と弟は家庭菜園のかぼちゃを全部収穫した。

クライマックス  

 山場からクライマックスを探していきます。クライマックスを探す指標は次のとおりです。

 導入部で紹介された「『ばかやろう!』の罵声やげんこつは日常」「大酒を飲み、かんしゃくを起こして母や子供たちに手を上げる父の姿」とは違う姿を見せるシーンがこの作品のクライマックスです。

茶の間に座っていた父は、はだしで表へ飛び出した。防火用水桶の前で、やせた妹の肩を抱き、声を上げて泣いた。私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。

 それまでの父親の人物像を大きく裏切る、なりふり構わない父の姿からは、娘(末の妹)への熱い愛情が読めます。それは、「私」にとっての衝撃であると同時に、読者にとっての衝撃でもあります。そして、これはそのままこの作品の主題へつながります

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クライマックスは、「はだしで表へ飛び出した」「声を上げて泣いた」など緊張感、衝撃性という点でも読者へのアピールの度合いが非常に高くなっています。その上、「私は父が」を、わざわざ「大人の男が」と言い換えています。

終結部

 終結部では、過去から現在へと戻ってきます。山場の衝撃性とは対照的な落ち着いた終結部です。

 あれから三十一年。父はなくなり、妹も当時の父に近い年になった。

「字のない葉書」のクライマックスを探る授業展開・発問例

 「字のない葉書」では、クライマックス箇所で意見が割れることは少ないかと思います。そのため、授業ではなぜそこがクライマックスなのかという根拠を見つけていくことが大事かと考えます。導入部などからクライマックスへつながる「伏線」を見つけ出し、確認します。

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今日は「字のない葉書」のクライマックスを見つけ出していきます。

 クライマックスだと考える箇所とその理由を、まず個人で考え、次にグループで話し合います。その後の学級全体での読み取りを行います。

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クライマックスは、父が飛び出して泣いたところだと思います。
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何頁の何行目?

 頁数行数を確認することで、学級の全員がそこを把握することができます。授業では常に「今検討されているのは、本文のどこか」を共有化することが大切です。

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109頁の1行目からのところです。
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それ以外の考えの人はいますか?
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そこの箇所は同じですが、次の「私は父が、大人の男が声を立てて泣くのを初めて見た。」もクライマックスに入れました。
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なるほど。なるほど。一文か二文か、迷っている人もいるようだね。今は保留にしておいて、なぜこのあたりがクライマックスなのか、考えていきましょう。

 一文か二文かの検討は、あえて形象よみまで保留にしておきます。もちろんここでそれを検討していくという方法もあります。

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父親がはだしで表へ飛び出すのが、意外性があります。
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確かにこの当時、子どもならやっても一家の主人である父親がはだしのまま表へ飛び出さないよね。
まだ理由はない?特に導入部などとの関係で何か見えてくる部分はないですか?

 この時点では、クライマックス箇所しか見ていない子どもが多いので、導入部などとの関係で見えてくるものはないか促します。ここでもう一度、グループの話し合いを入れてもよいかと思います。

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導入部で「ばかやろう!」とか、「罵声やげんこつ」って書いてある父なのに、ここで泣くっていうのが衝撃的です
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「かんしゃくを起こして」「手を上げる」って怖い父なのに、はだしで飛び出して泣くという驚きがあります。

 以上のようにクライマックスとその理由を探っていきます。

 また、上記のような方法もありますがクライマックスの指標を確認してから、その作品のクライマックスをみんなで探していくという方法もあります。

 拙著『物語・小説「読み」の授業のための教材研究 ―「言葉による見方・考え方」を鍛える教材の探究―』では、「字のない葉書」のさらに詳細な教材研究を掲載しています。ぜひご覧ください!

掲載教材:「少年の日の思い出」「字のない葉書」「故郷」「スイミー」「お手紙」「一つの花」「大造じいさんとガン」「海の命」

📕注:本文は、中学校国語教科書『国語2』(光村図書出版,2016年)による。

執筆者

国語科教育研究者
国語の教師・国語科教育研究者として、40年にわたり国語授業の研究・実践を行う。全国各地の小・中・高校や教育委員会等を訪問して授業の助言・指導や講演を行なっている。