「字のない葉書」の授業[2]形象よみ-導入部の鍵を読む[板書案]

「字のない葉書」の授業[2]形象よみ-導入部の鍵を読む[板書案]
今回の教材:「字のない葉書」向田邦子 作
【国語中1〜中2教科書 掲載/光村図書出版ほか】
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前回は、「字のない葉書」の構造を捉えました。
今回は、「字のない葉書」導入部の形象や技法を捉えていきます。作品の中でもより重い役割を担うキーワードやキーセンテンス(=「鍵」)に着目し、内容や表現にこだわりながら読み深めていきます。

▶︎「字のない葉書」の授業 全五回 [1] [2] [3] [4] [5]

今回は「形象よみ」段階にあたります。未読の方は、先に「物語の新三読法について」と「形象よみの授業」をご覧ください。

「字のない葉書」から重要な語や文=「鍵」を探す

  今回からは、「字のない葉書」の重要な語や文=鍵に着目し、形象や形象相互の関係を読み深めていきます。授業では、鍵の取り出し→鍵の読み深めという流れになります。

 導入部における鍵の取り出しの指標は以下の通りです。構造よみで着目した「クライマックス」を意識することでより効果的に行うことができます

 導入部の「鍵」の取り出しの指標

  1. 人物の設定(主要人物の性格や癖、外見、得意なこと、職業や家族や人間関係など)
  2. 時の設定
  3. 場の設定
  4. 先行事件(エピソードなど人物・時・場以外の設定)
  5. 語り手(語り手設定、語り手による予告・解説)

 ▶︎導入部の鍵の取り出し指標について、詳しくはこちらの記事をご覧ください。

「字のない葉書」導入部の鍵の読み深め

 「字のない葉書」導入部において、ぜひ授業で取り上げたい四箇所の「鍵」についてご説明します。

1.伏線としての暴君的父親像

 導入部では父の様々な側面が読むことができますが、何より重要なのはクライマックスで見せる姿とは真逆の「暴君」としての人物像です。

「おい、邦子!」
と呼び捨てにされ、「ばかやろう!」の罵声やげんこつは日常のこと

 ふんどし一つで家中を歩き回り、大酒を飲み、かんしゃくを起こして母や子供たちに手を上げる父の姿

 導入部から読める日常の「父親」は、極端な男尊女卑のかたちをとる父親であることが読めます。

  • 「罵声やげんこつは日常のこと」「母や子供たちに手を上げる」▶︎日常的な家庭内暴力
  • 「ふんどし一つで家中を歩き回り」▶︎家長であることから許されている
  • 「大酒を飲み、かんしゃくを起こして」▶︎酒乱

男尊女卑で暴力的な父親

 では、作中当時(1945年頃・76年前)の価値観ではどうだったかを考えてみます。

  • 家父長制
  • 当主は絶対的な位置にあることが多かった

→戦前・戦中の典型的な暴君型父親像(それほど特殊な父親像ではないかもしれない)

 この暴君的な父親像が伏線となってクライマックスで効果を発揮します。仮に物腰の穏やかな普段から優しいような父親像であったとしたら、クライマックスはあれほど劇的にはならないでしょう。

発問例

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導入部で日常における父親の人物像が特によくわかるところはどこだろう。本文に線を引いてみよう。
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家族の前での父親はどういう父だと思う?
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この父親像を現代の価値観・作中当時の価値観でそれぞれ考えてみよう。
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この暴君的な父親像は、この後のクライマックスとの関係ではどういう役割かな?

2.導入部で語られる父親の意外な側面

 導入部では、日常での暴君的な父親像が語られる一方、父親の意外な側面も語られます。

筆まめ

一点一画もおろそかにしない大ぶりの筆

「向田邦子殿」 と書かれた表書き

照れ性

 「筆まめ」とは、めんどうがらずに手紙を書くことです。暴君的な父親からは想像しにくい意外な一面です。
 「一点一画もおろそかにしない」からは、几帳面さやていねいさが読めます。
 「向田邦子殿」と書かれた手紙は、日常において父親が言う「おい、邦子!」とは対照的です。「照れ性」も父親の意外な側面です。

 読者は一度、導入部で暴君的な父親を裏切る軽い意外性を提示されます。しかし、クライマックスでは想像もしなかったような父親の意外な側面を提示されます。クライマックスを盛り上げ、強調する仕掛けです。

発問例

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日常の暴君的な父親像が見えてきたけど、導入部で他にも父親の人物像が読めるところはない?

3.「私」は父親をどのように語っているか

 語り手である娘の「私」は父親をどのように語っているかという点には留意する必要があります。「字のない葉書」の事件から31年経った「私」は憎しみや強い非難をもって父親を語ってはいません。むしろに父に共感し、理解を示しています。
 父への共感や理解は、以下の文からもみてとれます。

 暴君ではあったが、反面照れ性でもあった父は、他人行儀という形でしか十三歳の娘に手紙が書けなかったのであろう。

 もしかしたら、日頃気恥ずかしくて演じられない父親を、手紙の中でやってみたのかもしれない。

 この語り口から読める肯定的な人物像が、クライマックスでさらに大きく高まるという側面もあります。

発問例

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「私」が31年経って父親をどう見ていると読める?

4.これから始まる事件が「私」の中でもつ意味

  この手紙もなつかしいが、最も心に残るものをといわれれば、父が宛名を書き、妹が「文面」を書いた、あの葉書ということになろう。

 そして導入部の最後には「最も心に残るものをといわれれば、父が宛名を書き、妹が『文面』を書いた、あの葉書」と、「字のない葉書」をめぐりよほどのことが起こったことを予想させる一文があります。

 その上、父とはこの出来事の後「三十年以上付き合」い、既に「死んだ父」だから、かなり昔のことです。それでも今でも「最も心に残る」と述べています。これからの事件の大きさへの期待が、読者の中で醸成される仕掛けです。

発問例

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この導入部の最後の部分、作品の中でどういう役割を担っていると思う?
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予告だよね、これから起きる事件の。どういう役割(効果)かな?

「字のない葉書」導入部を読み深める板書案

 鍵1〜2を読み深める板書案です。

 拙著『物語・小説「読み」の授業のための教材研究 ―「言葉による見方・考え方」を鍛える教材の探究―』では、「字のない葉書」のさらに詳細な教材研究を掲載しています。ぜひご覧ください!

掲載教材:「少年の日の思い出」「字のない葉書」「故郷」「スイミー」「お手紙」「一つの花」「大造じいさんとガン」「海の命」

📕注:本文は、中学校国語教科書『国語2』(光村図書出版,2016年)による。

執筆者

国語科教育研究者
国語の教師・国語科教育研究者として、40年にわたり国語授業の研究・実践を行う。全国各地の小・中・高校や教育委員会等を訪問して授業の助言・指導や講演を行なっている。