なにが違う?「直喩」と「隠喩」表現上の効果の差異—「〜のような」があるか・ないか、だけじゃない!
ではなぜ「直喩」と「隠喩」を使い分けるのでしょうか?
それはそれぞれ表現上の効果が違うためです。今回は直喩と隠喩の違いについてさぐっていきます。
直喩と隠喩の違いとは?
直喩は「〜のような」等がある比喩。
まるで岩のような魚だ。
「海の命」(立松和平)
隠喩は「〜のような」等がない比喩。
太一は海草にゆれる穴のおくに、青い宝石の目を見た。
「海の命」(立松和平)
直喩と隠喩の表記上の違いまでは授業で教えても、直喩・隠喩の「表現上の効果」の違いはどこにあるのか、ということを指導することは多くありません。
しかし私は直喩・隠喩の持つ効果の違いを指導してこそ、言葉の力がつくと考えています。
詩「土」を例に直喩と隠喩の差をさぐる
直喩(オリジナル)
三好達治の「土」という詩で考えてみましょう。
土
蟻が
蝶をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ
「ヨットのやうだ」で直喩が使われています。
さて、この詩からどんな様子が浮かぶでしょうか?
蟻が
蝶をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ
そんな様子が浮かぶのではないでしょうか。
隠喩(「ああ/ヨットのやうだ」部分を隠喩に変えたもの)
では「ああ/ヨットのやうだ」を隠喩にしてみるとどうなるでしょう。例えば、こんなふうに変えてみました。
土
蟻が
蝶をひいて行く
ヨット
湘南のヨット
さて次はどんな様子が浮かぶでしょうか?
蟻が
蝶をひいて行く
ここまでは一緒です。
ヨット
湘南のヨット
読者は、一気に比喩の世界(湘南の海)に連れて行かれます。
詩「土」から読める直喩・隠喩の「表現上の効果」の差異
「ああ/ヨットのやうだ」
- 「〜のやうだ」を用いて、「比喩ですよ」と明からさまに示すために、「読者を現実に引き留める効果」がある。
- 「ヨットのやうだ」などと感じている語り手の存在がみえる。
「ヨット/湘南のヨット」
- 比喩らしさを隠しているために「読者を喩えているものの世界に一気に連れていく効果」がある。
- 語り手の存在がみえづらい。
物語「海の命」(立松和平)を例にさらに考える
上記をふまえて、もう一度、「海の命」(立松和平)の次の一文をみてみましょう。
この場面は太一が長い間、父の仇として追い求めていたクエにやっと出会えた場面です。そのクエの目が次のように表現されています。
太一は海草にゆれる穴のおくに、青い宝石の目を見た。
下線部「青い宝石の目」で隠喩が使われています。この箇所を直喩にすると「青い宝石のような目」となります。
それぞれ印象はどう違うでしょうか?
まずは、オリジナルの表現である隠喩からみていきましょう。
太一は海草にゆれる穴のおくに、青い宝石の目を見た。
- 「青い宝石」に「目」が重なるが、目よりもむしろ「青い宝石」の印象が強い。
- 「青い宝石」の描写性・絵画性が高く、読者により強く迫ってくる。
- 実際には太一がそう感じていることだが、それ忘れさせるほど目の「青い宝石」性が強まる。
太一は海草にゆれる穴のおくに、青い宝石のような目を見た。
- あくまでも目が中心で、「青い宝石」は目の様子を形容していることが前面に出る。
- 「ような」があるため説明的になり、隠喩より描写性・絵画性は相対的に弱くなる。
- 太一が目を「青い宝石」と感じているのだ、と読める。
直喩と隠喩の「表現の効果」の違いまとめ
直喩と隠喩の「表現の効果」の違いをまとめると次のようになります。
直喩 | 隠喩 | |
---|---|---|
現実感 | 読者を 現実に引き留める効果 | 読者を 比喩の世界に 一気に連れていく効果 |
語り手 | 語り手を 感じさせる効果 | 語り手を 見えにくくする効果 |
説明的・描写的 | 説明的になる傾向 | 描写的・絵画的 になる傾向 |
「直喩」「隠喩」の違いは、上記以外にもまだまだあります。
それについては、拙著『増補改訂版 国語力をつける物語・小説の「読み」の授業 ―「言葉による見方・考え方」を鍛えるあたらしい授業の提案 』が詳しいのでぜひお読みください。これまで国語の授業であまり指導されることのなかった「提喩」や「換喩」についても書いています。
掲載教材:「モチモチの木」「ごんぎつね」「走れメロス」
📕注:「海の命」小学校国語教科書『国語六下』(光村図書,2015年)による。下線は当サイト。