「ごんぎつね」の授業[5]吟味よみ-作品をさらに読み深める3つの視点[板書案]
【国語小4教科書 掲載/光村図書出版ほか】
単元の最後にこれまでの読みを生かし「ごんぎつね」を再読し、主体的に評価していきます。
▶︎「ごんぎつね」の授業 全五回 [1] [2] [3] [4] [5]
今回は「吟味よみ」段階にあたります。未読の方は、先に「物語の新三読法について」と「吟味よみの授業」をご覧ください。
「ごんぎつね」を吟味・評価する
「ごんぎつね」単元の最後に行う「吟味よみ」では、これまでの構造よみ・形象よみとは別の観点で作品を再読していきます。具体的には、作品を評価・吟味的な観点で読み直します。
ここでは吟味の視点を3つ紹介します。
1.冒頭の二文はなぜあるのか吟味する
「ごんぎつね」は次のように始まります。
これは、わたしが小さいときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお話です。
昔は、わたしたちの村の近くの中山という所に、小さなお城があって、中山様というおとの様がおれらたそうです。
この冒頭は、物語の内実とほとんど関係ありません。なぜこのような始まりになっているのか、冒頭のもつ意味を考えてみます。
冒頭のニ文の持つ意味・効果
- 「茂平というおじいさんから聞いたお話」
▶︎茂平も誰かから聞いた可能性が高い。長く語り伝えられてきた話。 - 「昔は、わたしたちの村の近くの中山という所に、小さなお城があって」
▶︎今はもう城はない。城があった時代(江戸期以前)から語り継がれている「昔話」の可能性。
長く語り継がれているということは、そこに共感や教訓があったから。
↓
この冒頭には、ただの物語ではないという奥行きをもたせる効果がある
さらに読みを広げてみます。
この物語の結末ではごんは死にますが、兵十はそのまま生き続けます。兵十がすべてのいきさつを知っているわけではありませんが、兵十が実際にごんと関わった出来事を思い返し、その空白を想像で埋めながらこの話を構築し直し多くの人に語り伝えてたというドラマも仮想できます。そして、それが多くの人々に共感され支持されたことで「昔話」となり、やがて茂平そして「わたし」にまで届いたという可能性もありえます。
発問例
2.なぜ「悲劇」が起こってしまったのか吟味する
「ごんぎつね」は、ごんと兵十のすれ違いによって、一方が一方を殺すという悲劇によって幕を閉じます。
そのすれ違いについては、これまで形象よみでも詳しく読んできましたが、吟味よみでは「なぜこのような悲劇が起きてしまったのか」ということをこれまでの読みを振り返りながら、メタ的に捉えていきます。
発問例
これまで読んできたことを振り返りながら、その理由を考えてみよう。
私は次の3つが特に重要だと考えます。
ごんはきつね、兵十は人間、立場のちがう二人です。
ごんにとって初めは兵十は「いたずら」をしかけてやろうと思うような相手でした。しかし、途中でごんは自分の行いを後悔します。
「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か。」
さらに兵十は「おれと同じ、ひとりぼっち」であるとごんは考え、共感を深めていきます。ごんは兵十と自分とは近しい存在、さらには分かり合える存在であると感じているのです。
しかし、一方の兵十は、初めからごんをきつねとしか見ていません。獣という認識です。
「うわあ、ぬすっとぎつねめ。」
こないだ、うなぎをぬすみやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。
しかも、ごんは村でいたずらばかりして、さらに兵十の獲物を盗もうとします(あくまで兵十の認識です)。そんなごんを、兵十は人間に危害を加える悪きづね=害獣と捉えていたでしょう。分かり合える存在などではなく、まったく異質な存在でした。
もしごんが人間であったら、同じいたずらをしても兵十が撃ち殺すことなどはしなかったはずです。とすると、「人間と獣」という大きく隔絶された関係性が生んだ悲劇という可能性が見えてきます。
実際に、人間相互の関係の中で、国、民族、人種、地域、階層、社会的位置の違いなど様々な超えにくい隔絶があります。
作品中、ごんの言葉はカギ括弧「」で何度も出てきます。ごんは、人間の言葉で考えることはできるようです。また、兵十や加助の会話を理解もしていました。
しかし、ごんは作中で一度も声を発していません。カギ括弧「」で思いがかかれているため、言葉を発しているかのように見てしまいますが、「思いました」「考えました」とかかれており、声を発しているわけではありません。ごんは言葉を話せなかった可能性があります。
二人の間に「言葉」を介したコミュニケーションがなかったことによる悲劇という見方です。
ごんの抱えていた孤独による悲劇、という仮説を立ててみます。
ひとりぼっちの小ぎつね
「おれと同じ、ひとりぼっちの兵十か。」
- 寂しかったから、いたずらをしてみんなにかまってほしかった可能性。
- 「ひとりぼっち」で寂しかったから、兵十に対して強い思いを持った可能性。また、同じ境遇にあることで仲間のような感覚を持ったのでは。
おそらくごんは、人間で考えると少年期から青年前期くらいの年頃です。(詳細は、導入部の形象読みを参照)。つい関心を引きたくていたずらをしてしまうということは、実際にもありうることです。
また、兵十に対してどんどん思いを募らせていったことも、「ひとりぼっち」で寂しかったためと考えられます。自分と同じ境遇の兵十に仲間のような近しい感覚を持ったのかもしれません。
3.兵十はこの出来事を「村人」にどう語ったかを考える
「もし兵十がごんとの間に起きた出来事を村人に語ったとしたら」を考えることを通じて、物語を捉え直す吟味です。
少し前の教科書には「『兵十』が『ごん』のことを『加助』に話すとしたら、どのような会話になるでしょうか。」という手引きがありましたが、話す相手の設定は「加助」などの友人ではなく、「村人」などを少し距離の遠い人物を設定するのがよいかもしれません。加助は兵十の友人であり、贈り物についても既に知っているため、軽い会話になってしまう危険があります。
あくまでも兵十がこのできごとをどのように相対化し、人に語るのかということを考えることで、この作品を整理し、再構築することができます。
発問例
以上のような視点の吟味を「吟味文」として、子どもたちにかかせ、交流させていくという指導もあります。
「ごんぎつね」の吟味を行う板書案
「2.なぜこういう「悲劇」が生まれたかを吟味する」を板書に落とし込むと次のようになります。
拙著『増補改訂版 国語力をつける物語・小説の「読み」の授業 ―「言葉による見方・考え方」を鍛えるあたらしい授業の提案 』では、様々な教材を引用しながら物語・小説の指導過程について丁寧に解説しています。
更に「モチモチの木」「ごんぎつね」「走れメロス」については詳しい教材研究を載せています。ぜひご覧ください!
掲載教材:「モチモチの木」「ごんぎつね」「走れメロス」
📕注:本文は、小学校国語教科書『国語四・下』(光村図書出版,2015年)による。