「一つの花」の教材研究[2]導入部の形象よみ-冒頭の「一つだけ」の意味とは?
【国語小4教科書掲載/光村図書出版ほか】
第二回目では、「一つの花」の導入部(プロローグ・前ばなし)の形象や技法をとらえていきます。冒頭の「一つだけちょうだい。」、そして人物設定や時の設定に着目します。
▶︎「一つの花」の教材研究 全四回 [1] [2] [3] [4]
今回は「形象よみ」段階にあたります。未読の方は、先に「物語の新三読法について」と「形象よみの授業」をご覧ください。
「一つの花」から重要な語や文=「鍵」を取り出す
「一つの花」の重要な語や文=鍵に着目し、形象や形象相互の関係を読み深めていきます。
今回は、導入部の形象です。(導入部は、構造よみで読んだとおり、作品冒頭から「~きまってゆみ子をめちゃくちゃに高い高いするのでした。」までです。)導入部は、基本的には語句単位(キーワード)で取り出しを行います。
導入部における鍵の取り出しの指標は以下の通りです。これらは、この後の展開部や山場で伏線の一つとして大きな意味をもってきます。
導入部の「鍵」の取り出しの指標
- 人物の設定(主要人物の性格や癖、外見、得意なこと、職業や家族や人間関係など)
- 時の設定
- 場の設定
- 先行事件(エピソードなど人物・時・場以外の設定)
- 語り手(語り手設定、語り手による予告・解説)
子どもたちから意見がたくさん出て、どこの箇所を取り上げるか迷った時には、クライマックスにつながるところ(伏線)を中心に取り上げ、読み深めていきます。
「一つの花」導入部の鍵の読み深め
「一つの花」導入部において、ぜひ授業で取り上げたい「鍵」についてご説明します。
1.冒頭の「一つだけちょうだい。」
まず、冒頭の「一つだけちょうだい。」を読んでいきます。
物語の冒頭が重要な意味をもつことはしばしばあります。
「モチモチの木」の「全く、豆太ほどおくびょうなやつはない。」や、「走れメロス」の「メロスは激怒した。」などです。「冒頭よみ」という言い方をすることもあります。
「一つだけちょうだい。」
これが、ゆみ子のはっきりおぼえた最初の言葉でした。
- 子どもが初めてはっきり覚える言葉としての意外性。
▶︎「まんまちょうだい。」「もっとちょうだい。」などではない。戦争末期の強い欠乏の中で育っている子どもの姿がみえる。
▶︎意外な言葉で作品が始まることで読者は衝撃を受ける。 - 「一つだけ」
▶︎(本当はたくさんほしいけれどそれは叶わないから)せめて「一つだけ」という懇願。
また、「一つの花」の導入部では、
一つだけ
という言葉が合計11回繰り返されます。そして、クライマックスでキーワードとして登場します。
題名「一つの花」とも相まって、「一つだけ」という言葉が作品全体を通じて象徴的な意味をもつことになります。
導入部で「一つだけ」を11回繰り返し、読者に印象づけていることは、「鍵」の取り出しの指標の4.先行事件(エピソードなど人物・時・場以外の設定)として捉えてもよいかと思います。
発問例
2.人物の設定
人物設定を読んでいきます。
ゆみ子の人物像
冒頭からは、ゆみ子の人物設定も読むことができます。
「一つだけちょうだい。」
これが、ゆみ子のはっきりおぼえた最初の言葉でした。
- 「はっきり覚えた最初の言葉」▶︎ゆみ子は1歳半〜2歳と推測。
また、ゆみ子は一人っ子のようで、この家族はゆみ子、お父さん、お母さんの三人暮らしらしいことも導入部からは読むことができます。
お父さん・お母さんの人物像
お父さんの人物像は、導入部後半の会話文から窺えます。
「この子は、一生、みんなちょうだい、山ほどちょうだいと言って、両手を出すことも知らずにすごすかもしれないね。一つだけのいも、一つだけのにぎり飯、一つだけのかぼちゃのにつけ——。みんな一つだけ。一つだけのよろこびさ。いや、よろこびなんて、一つだってもらえないかもしれないんだね。いったい、大きくなって、どんな子に育つだろう。」
そんなとき、お父さんは、きまってゆみ子をめちゃくちゃに高い高いするのでした。
- 「〜ね。」「〜だね。」「〜だろう。」といった言い方▶︎ゆみ子やお母さんに丁寧に優しく接する父親像
▶︎当時の家父長制的な権威を上から下にかざしていく父親とは違い、家族に対等に優しく接する現代的な父親像。 - 「めちゃくちゃに高い高いする」▶︎せめて自分はゆみ子に喜びを与えたい、という優しさ・愛情が読める。
▶︎娘を不憫に思う押ささえきれない気持ちをなんとか安定させる。
お母さんは、ゆみ子が食べ物をほしがると自分の分から分け与えてくれる優しい人物像です。
3.時の設定
この作品において非常に重要なのが、時代設定です。
まだ戦争のはげしかったころのことです。
毎日、てきの飛行機が飛んできて、ばくだんを落としていきました。
町は、次々にやかれて、はいになっていきました。
ここからは、戦争末期であることが読めます。より正確に読んでいきます。
- 「ばくだんを落として」「町は、次々にやかれて」
▶︎サイパン島・グアム島などが米軍に占領され、1944年(昭和19年)11月、B29が直接日本本土を爆撃するようになって以降です。
▶︎コスモスの咲く時期なので、1945年(昭和20年)初夏〜夏頃まで絞ることができます。
戦争開始時点では徴兵率は兵役範囲の男子の約3割程度でしたが、1944年~45年には8〜9割になります。「あまりじょうぶでない~お父さん」(展開部のはじめ)が徴兵されることからも戦況が悪化し追い詰められていたことがわかります。
この時期は、特に戦死者が多くなっていきます。
体のあまり丈夫でないゆみ子のお父さんがこの時点で徴兵されるということは、生きて帰ってこれないことが極めて高いことを意味します。お父さん自身もお母さんもそのことを覚悟している可能性が高いと考えられます。このことは、クライマックスの読みにも深く関わります。
(戦争に関する知識は、先生から提供し、その上で子どもたちに推理させるかたちがよいと思います。)
この頃は特に戦死者が多かった。多くの家族に戦死の公報が届いていた。ということは、お父さんとお母さんはどういう気持ちでいたと思う?
4.語り手
まだ戦争のはげしかったころのことです。
上記から、この物語が戦争の終わった時代から振り返る形でかかれていることが読めます。
また、この作品の語り手は、作品世界に登場しない三人称の存在です。展開部・山場でも、一度も人物の心の中に入ることはありません。「三人称客観視点」の語り手です。(語り手の種類について詳しくはこちら)
「三人称客観視点」ですから、「一つの花」では直接人物の見方や考え方・感じ方を語り手が語ることはありません。語りが語っているお父さんやゆみ子の言動から読者が推測するしかないのです。そこが他の物語と違うところです。子どもたちにそのことを気付かせるどうかは、学級によって違っていいと思います。(少なくとも先生はそのことを知っておくとよいと思います。)
「三人称客観視点」とはいえ、語り手はかなりの程度、ゆみ子たち家族に寄り添っています。発端(事件の始まり)の「〜戦争に行かなければならない日がやってきました。」や「まるで、戦争になんか行く人ではないかのように。」という言い方から、これらの出来事についての語り手の姿勢が垣間見えます。ゆみ子たち家族の立場に立った語り方とも言えます。
拙著『物語・小説「読み」の授業のための教材研究 ―「言葉による見方・考え方」を鍛える教材の探究―』では、「一つの花」の詳細な教材研究を掲載しています。ぜひご覧ください!
掲載教材:「少年の日の思い出」「字のない葉書」「故郷」「スイミー」「お手紙」「一つの花」「大造じいさんとガン」「海の命」
次回は展開部・山場の形象を読み深めていきます。
📕注:本文は、小学校国語教科書『国語四・上』(光村図書出版,2015年)による。