「なぜ国語を勉強しないといけないんですか」と子どもたちに聞かれたら
なつかしく読み返していると、「なぜ国語を勉強するのか?」という問いへ30代の自分なりに考えた答えがかかれていました。本より引用し、ご紹介します。
なぜ国語を勉強するのか
みんなは言葉を話したり聞いたり、文章を読んだり書いたりできます。ちょっと難しい言葉でも辞書を引けばなんとかなります。なのに、なんで「国語」などどいう教科をわざわざ勉強するんでしょう。それも週四時間というたいへんな時間をかけて。
今、先生は誰でも話したり聞いたり、書いたり読んだりできると言いましたが、実はそれはウソなんです。たしかに表面的には一応意味がわかったり、一応メモするくらいはまあ誰でもできます。しかし、本当に間違いなく深く「読む」、そして「書く」ということは意外とできていないんです。
だから、こんなに長い時間をかけて——小学校から高校まで通すとすごい時間ですね、—勉強するわけです。でも、仮にそうだとしても、日本語を読んだり書いたりすることは、本当にそんなに大事なのか、日常生活で困らなければ構わないんじゃないか、とも思うでしょう。
実は、日常生活だけじゃなくて、今の世の中は、たとえば政治でも言論でもテレビでもマスコミでも、そして科学や学問の世界でも、「ことば」というものを鍵にして成り立っているんです。その意味で現代の世の中は、「ことば」によって動いているとも言えそうなのです。
だから「ことば」によって、私たちの幸福や不幸だって左右されてしまう。
たとえば、政治だって「ことば」によって国会で論争が行われたり、政策が発表されたり、決定されたりしています。私たちが議員を選ぶときだって候補者の「ことば」を聞いて選ぶんです。みんなも知っているように現代の政治は直接私たちの運命を決めます。戦争だって平和だって、毎日の生活を支えている経済だって、福祉だって、政治なんです。
だから、「ことば」にだまされたり、「ことば」がうまく使えないと、結局今の世の中のあり方に参加していくことは、できないということになります。政治が、世の中が、今どういう方向に向かって動いているのかを、まったく知らないまま、いつの間にかとんでもないことになっていることだってありえます。過去にそういうことは何度もありました。そして結局多くの人たちが死んだり不幸になったりということがあったのです。
そのように、現代の世の中は「ことば」を鍵にして動いているといってもいい。だからもし皆が「ことば」を読めたりかけたりできなかったとしたら、将来一人の社会人として、世の中の動きやあり方にかかわることができない。
つまり「ことば」が読めるか、書けるかは、皆の将来のあり方、決して大袈裟ではなく、世の中のあり方に、実は決定的な意味を持っているのです。
阿部昇『教師のための説得の技術』(民衆者,1989年)より
「なぜ国語を勉強しないといけないんですか」と聞かれたら、あなたならどんな答え方をしますか?
こちらから引用しました→
阿部昇『教師のための説得の技術』(民衆社,1989年)