「『鳥獣戯画』を読む」の教材研究[4]吟味よみ-論証のロジック・レトリックを吟味する
【国語小6教科書掲載/光村図書出版】
最後の第四回目では、「『鳥獣戯画』を読む」のこれまでの読みを生かしながら、さまざまな角度から文章を評価し、吟味していきます。
▶︎「『鳥獣戯画』を読む」の教材研究 全四回 [1] [2] [3] [4]
今回は「吟味よみ」段階にあたります。未読の方は、先に「説明的文章の新三読法について」と「説明的文章の吟味よみ」をご覧ください。
「『鳥獣戯画』を読む」の吟味よみ
「『鳥獣戯画』を読む」の吟味よみのポイントは2つです。
- 筆者の論証の工夫を評価する
まず論証の工夫を評価していきます。仮説を筆者がどのように論証しているかを中心に、この文章の工夫・よさを発見し評価していきます。 - 筆者の仮説に納得できるか・納得できないかを考える
次に4つの仮説それぞれについて、読み手として「納得できる」か「納得できない」かを判断していきます。もちろん「1」の論証の工夫への評価を生かしつつ評価します。
1.筆者の論証の工夫を評価する
a.第1段落の表現の工夫
第1段落・第2段落では、さまざまなレトリックを生かし絵を解説・解読しています。そのレトリックを丁寧に読み深めていきます。
ここでは、第1段落について読み深めていきます。
次が第1段落の全文です。
①はっけよい、のこった。②秋草の咲き乱れる野で、蛙と兎が相撲をとっている。③蛙が外掛け、すかさず兎は足をからめて返し技。④その名はなんと、かわず掛け。⑤おっと、蛙が兎の耳をがぶりとかんだ。⑥この反則技に、たまらず兎は顔をそむけ、ひるんだところを蛙が——。(第1段落)
①はっけよい、のこった。
「『鳥獣戯画』を読む」は「はっけよい、のこった。」(第1段落①文)から始まります。カギ括弧はありませんが、これは会話文(セリフ)です。会話文から始まることで、リアリティや臨場感を生み、読者を文章の世界に呼び込みます。
また「はっけよい、のこった。」から読者は、これが相撲であることがわかります。
②秋草の咲き乱れる野で、蛙と兎が相撲をとっている。
②文で「秋草の咲き乱れる野」で「蛙と兎が相撲をとっている」と絵の全体について述べます。
③蛙が外掛け、すかさず兎は足をからめて返し技。④その名はなんと、かわず掛け。
③・④文では、「外掛け」「返し技」「かわず掛け」と体言止めが使われています。それによって、相撲が目の前で繰り広げられているような「絵画的」「描写的」な効果が生まれます。また、体言止めが小気味よい「リズム感」を生んでいます。
④文の「なんと」は、実況中継のセリフのようです。語り手の軽い驚きが感じられます。この「なんと」は、蛙がかけるべき技であるはずの「かわず(蛙)掛け」を、逆に兎からかけられるという意外な逆転の面白さへの驚きとも読めます。
⑤おっと、蛙が兎の耳をがぶりとかんだ。
⑤文の「おっと」も実況中継のセリフのようです。「目の前で今この相撲を見ている」という臨場感があります。
「がぶり」という擬態語も効果的です。
⑥この反則技に、たまらず兎は顔をそむけ、ひるんだところを蛙が——。
兎と蛙の取っ組み合いを相撲とみると「がぶり」は反則技です。「たまらず」「ひるんだ」という表現もドラマチックさを演出しています。
そして「ひるんだところを蛙が——。」と最後を「——」と省略するかたちにすることで、「この後何か起こる!」という予告を暗にしています。読者に期待をもたせる効果です。もちろんこの後は、頁をめくった二枚目の絵につながっていきます。
「相撲」「外掛け」「返し技」「かわず掛け」「反則技」そして「たまらず」「ひるんだ」など、実はすべて筆者独自の解釈(意味付け)です。兎と蛙の取っ組み合いを「相撲」として筆者が物語を構築しています。
第1段落では、「実況中継風」「体言止め」「擬態語」「——」(ダッシュ)などのレトリックを駆使して、兎と蛙の遊びを臨場感をもって生き生きと描いています。これが第2段落の「のびのびと見事な筆運び」「生き生きと躍動」などの評価につながっていきます。
そして、それはこの作品の質の高さとして第9段落「人類の宝」という筆者の仮説の論証の一部になっているとも読めます。
同様に第2段落も「体言止め」「焦点化」などさまざまなレトリックが用いられています。
発問例
❶特に印象的っていうところはどこ?
❷特にうまいなあって思う部分はどこ?
❸気になるなっていうところ、どこかな?
❹ここはこういう技法・仕掛けがあるっているところ、探してみよう。
b.第5段落の説得の工夫
次に着目したいのは、第5段落の説得の工夫です。
第5段落では、次の仮説が示されます。蛙が兎を投げ飛ばした直後に蛙の口から出ている不思議な線についての筆者の独自の考え=仮説です。
⑥そう、きっとこれは、「ええい!」とか「ゲロロッ」とか、気合いの声なのではないか。⑦まるで漫画のふき出しと同じようなことを、こんな昔からやっているのだ。(第5段落・⑥⑦文)
この仮説を読者に納得してもらうために第5段落ではロジック・レトリックの工夫が多く用いられています。
次が第5段落の全文です。
①もう少しくわしく絵を見てみよう。②まず、兎を投げ飛ばした蛙の口から線が出ているのに気がついたかな。③いったいこれはなんだろう。④けむりかな、それとも息かな。⑤ポーズだけでなく、目と口の描き方で、蛙の絵には、投げ飛ばしたとたんの激しい気合いがこもっていることがわかるね。⑥そう、きっとこれは、「ええい!」とか「ゲロロッ」とか、気合いの声なのではないか。⑦まるで漫画のふき出しと同じようなことを、こんな昔からやっているのだ。(第5段落)
説得のロジックの工夫
ここでは、⑥文「そう、きっとこれは、「ええい!」とか「ゲロロッ」とか、気合いの声なのではないか。」の筆者の仮説のみでも文章としては成立します。しかし、仮説に納得してもらうために筆者は②〜⑤文を仕掛け、さらに⑦文でそれを意味づけています。
そのロジックの工夫を読んでいきます。
②まず、兎を投げ飛ばした蛙の口から線が出ているのに気がついたかな。
全体像のままでなく、蛙の口から出ている線のみに焦点を絞り込みます。
ピンポイントに絞り込むこと自体が工夫ですし、さらにどこにこそ絞り込むかということも重要です。
③いったいこれはなんだろう。
該当箇所へ注目させた後で、読者に問いを投げかけます。問いを投げかけることで読者を巻き込み、思考を促します。説明的文章の序論(はじめ)の「問題提示」「問い」と同じような役割です。
④けむりかな、それとも息かな。
問いに関する2つの選択肢を示し、読者の思考をさらに促します。ただし、この中には筆者が示したい答えは含まれていません。読者を迷わせることを楽しんでいるようでもあります。
⑤ポーズだけでなく、目と口の描き方で、蛙の絵には、投げ飛ばしたとたんの激しい気合いがこもっていることがわかるね。
「激しい気合い」という助言を出します。ここでもそれによって読者の思考を促進させ、解決に向かわせようとします。
⑥そう、きっとこれは、「ええい!」とか「ゲロロッ」とか、気合いの声なのではないか。⑦まるで漫画のふき出しと同じようなことを、こんな昔からやっているのだ。
「③いったいこれはなんだろう。」の問いの答えとして⑥文を示しいます。これは筆者の仮説です。
見方によっては、たとえば強い気合いの「息」という解釈もありうるかもしれません。しかし、筆者は「声」と結論づけています。
⑦まるで漫画のふき出しと同じようなことを、こんな昔からやっているのだ。
そして⑦文で「声」を「漫画のふき出し」と意味付け一般化し、第3段落の「漫画の祖」と繋げています。
焦点化→問いかけ→選択肢→助言(ヒント)→答え→発展(意味づけ)—という手順を踏み、読者に思考の道すじを辿らせることで、結論(筆者の仮説)の説得力を高めています。
説得のレトリックの工夫
第5段落では、説得のためのレトリックも多様に用いられています。
②まず、兎を投げ飛ばした蛙の口から線が出ているのに気がついたかな。
④けむりかな、それとも息かな。
「〜かな」という優しく語りかけるような口調で読者との距離を縮めます。読者の子どもたちは「自分」に語りかけられているような感覚を持ちます。
⑤ポーズだけでなく、目と口の描き方で、蛙の絵には、投げ飛ばしたとたんの激しい気合いがこもっていることがわかるね。
「〜わかるね」という言い方で読者の同調を求めます。読者と会話するように進んでいきます。
⑥そう、きっとこれは、「ええい!」とか「ゲロロッ」とか、気合いの声なのではないか。
「そう」は、「あなたもそう思ったでしょう。その通り。」という意味です。「あなたもそう思ったよね」と暗示をかけています。実際に読者がそうは思っているとは限りません。しかし、「あなたもそう思ったよね」と断定され、読者はいつの間にか納得させられてしまうという仕掛けです。
発問例
❶特に印象的っていうところはどこ?
❷仮説はどこだっけ?(子ども「⑥文」と答える。)
だったら、この③文の「いったいこれはなんだろう。」と⑥文の「そう、きっとこれは、「ええい!」とか「ゲロロッ」とか、気合いの声なのではないか。」だけ示すだけでもよかったんじゃない?
❹なるほどそれでは説得力が弱い。とすると④文から⑤文にどんな工夫があるのかな?これがない場合とある場合を比べてみよう。
❺それ以外に第1段落で読んだ「なんと」みたいな効果がある表現ない?
❻ここはこういう技法・仕掛けがあるっているところ、探してみよう。
c.文章全体でのアップとルーズ
論理よみで文と絵の対応関係を読んだ際には、筆者は絵を俯瞰的ルーズにしたり、クローズアップしたりしながら、絵を読み解いていることを確認しました。
文章全体では、アップとルーズがどのように使われているでしょうか。
第1段落〜第3段落では『鳥獣戯画』の1枚目の絵のいくつかの箇所にクローズアップしていきます。
第4段落では、2枚目の絵が登場し、1枚目から2枚目に移ることの意味を述べます。
第5段落・第6段落では2枚目の絵のいくつかの箇所をクローズアップしていきます。
第7段落では、1枚目・2枚目の絵を並べ、全体を見渡します。(ルーズ)
第8段落では、『鳥獣戯画』を歴史の中に位置付けます。(ルーズ)
そして、最後の第9段落では、人類における『鳥獣戯画』について持論を展開します。(ルーズ)
「『鳥獣戯画』を読む」では、部分部分でクローズアップの手法を用いながら、ルーズと組み合わせて効果を上げています。第8段落・第9段落で『鳥獣戯画』を絵画の歴史や人類の歴史なかに位置づけることは、文脈・視点を広げるルーズの発想です。
最終的に読者は第9段落の筆者の仮説「『鳥獣戯画』は、だから、国宝であるだけでなく、人類の宝なのだ。」を無理なく受け入れることができるように設計されています。
2.筆者の仮説に納得できるか・できないかを考える
「『鳥獣戯画』を読む」では、4つの仮説が示されます。
論理よみでは、これらの仮説が本文の中でどのように論証されているかを確認しました。それらを振り返りながら、自分が筆者の考えに納得できるか・できないかを考えていきます。
仮説1:アニメの祖
『鳥獣戯画』は、漫画だけでなく、アニメの祖でもあるのだ。(第4段落・④文)
この「仮説1」を論証しているのは、直接には第4段落①②③文と⑨文です。
①どうだい。②蛙が兎を投げ飛ばしたように動いて見えただろう。③アニメの原理と同じだね。(中略)⑨実際に絵巻物を手にして、右から左へと巻きながら見ていけば、取っ組み合っていた蛙が兎を投げ飛ばしたように感じられる。(第4段落・①②③⑨文)
さらに絵も効果的に使っています。ページの同じ位置に1枚目と2枚目の絵を配置し、読者にページめくらせアニメのような動きを体感させることで論証していました。
第7段落⑤文「一枚の絵だからといって、ある一瞬をとらえているのではなく、次々と時間が流れていることがわかるだろう。」でも「アニメの祖」という仮説を論証していました。
仮説1について自分の意見を持つときのポイント
→論証を再確認しながら、納得できるか・できないかを一人一人が判断していく。
その際に、(時間が許せば)実際に絵巻物の見え方を体験し仮説に納得できるか考えるという方法もあります。
その際には、第4段落⑨文・第7段落⑤文に着目します。
実際に絵巻物を手にして、右から左へと巻きながら見ていけば、取っ組み合っていた蛙が兎を投げ飛ばしたように感じられる。(第4段落・⑨文)
一枚の絵だからといって、ある一瞬をとらえているのではなく、次々と時間が流れていることがわかるだろう。(第7段落・⑤文)
第4段落・⑨文には、「実際に絵巻物を手にして」とあります。
授業では鳥獣戯画の絵を実際にプリントアウトし、絵巻物のようにしてつなげ、子どもたちに絵巻物の見え方を体験させていくという方法も考えられます。
そして、最終的に筆者の「アニメの祖」という仮説に納得できるか・できないかをひとりひとりが考えていきます。
絵巻物を手に取らせ実際に体験させることで、筆者の表現のうまさや工夫がよりリアルに感じられるかもしれません。
「論証の工夫は評価するが、仮説には納得できない」など多様な考えがあっていいと思います。根拠のある自分の考えを持つ、ということが大切だと思います。
仮説2:気合いの声
⑥そう、きっとこれは、「ええい!」とか「ゲロロッ」とか、気合いの声なのではないか。⑦まるで漫画のふき出しと同じようなことを、こんな昔からやっているのだ。(第5段落・⑥⑦文)
「仮説2」を論証しているのは、第5段落②③④⑤文です。
②まず、兎を投げ飛ばした蛙の口から線が出ているのに気がついたかな。③いったいこれはなんだろう。④けむりかな、それとも息かな。⑤ポーズだけでなく、目と口の描き方で、蛙の絵には、投げ飛ばしたとたんの激しい気合いがこもっていることがわかるね。(第5段落・②③④⑤文)
仮説2について自分の意見を持つときのポイント
→ロジック・レトリックの工夫を評価しつつ、仮説に納得できるか・できないかを考える
上で読んだ通り「仮説2」を読者に納得してもらうために、筆者はさまざまなロジック・レトリックの工夫を用いています。それらの工夫を評価しつつ、「気合いの声」と結論づける筆者の仮説に納得できるかを考えていきます。
(時間があれば)『鳥獣戯画』甲巻の次の場面を参照させても面白いかと思います。甲巻の最後には次のような絵があります。
この絵の猿の僧侶の口からは線が出ています。この僧侶はお経を読んでいます。
とすると第5段落で確認した蛙の口からでている線も「声」である可能性が高いと考えられます。
(1)第5段落の内容で仮説に納得できるか(2)猿の僧侶の絵を見てどう思うか(3)猿の僧侶の絵を仮説の論証とすると本文にどんな一文が加えられるか、などを子どもたちに考えさせるとよいと思います。
ただし、あるときは線を声として、あるときは強い息として使っているという可能性もまったくは否定できません。
その辺りをどう解釈していくか、これは子ども一人一人が判断していけばいいと思います。
仮説3:和気あいあい
蛙と兎は仲良しで、この相撲も、対立や真剣勝負を描いているのではなく、蛙のずるをふくめ、あくまでも和気あいあいとした遊びだからにちがいない。(第6段落・⑩文)
「仮説3」を論証しているのは、第6段落④⑤⑥⑦⑧⑨文です。
④しかも、投げられたのに目も口も笑っている。⑤それがはっきりとわかる。⑥そういえば、前の絵の、応援していた兎たちも笑っていた。⑦ほんのちょっとした筆さばきだけで、見事にそれを表現している。⑧たいしたものだ。⑨では、なぜ、兎たちは笑っていたのだろうか。(第6段落・④⑤⑥⑦⑧⑨文)
仮説3について自分の意見を持つときのポイント
→兎や蛙は敵対関係という解釈もあることを踏まえた上で、仮説に納得できるか・できないかを考える
兎や蛙や猿たちは一見遊んでいるように見えるが、実は敵対関係にあるという解釈をしている人もいます。そういう考え方も紹介しつつ、子どもたち一人一人に仮説3について判断をさせていくとよいと思います。
仮説4:人類の宝
『鳥獣戯画』は、だから、国宝であるだけでなく、人類の宝なのだ。(第9段落・⑥文)
「仮説4」を論証しているのは直接には、第9段落①②③④⑤文です。
①十二世紀という大昔に、まるで漫画やアニメのような、こんなに楽しく、とびきりモダンな絵巻物が生み出されたとは、なんとすてきでおどろくべきことだろう。②しかも、筆で描かれたひとつひとつの絵が、実に自然でのびのびしている。③描いた人はきっと、何者にもとらわれない、自由な心をもっていたにちがいない。④世界を見渡しても、そのころの絵で、これほど自由闊達なものはどこにも見つかっていない。⑤描かれてから八百五十年、祖先たちは、幾多の変転や火災のたびに救い出し、そのせいで一部が失われたり破れたりしたにせよ、この絵巻物を大切に保存し、私たちに伝えてくれた。(第9段落・①②③④⑤文)
「人類の宝」であることの論証は第9段落以外でもされています。絵の素晴らしさを述べている部分がそれに当たります。たとえば第2段落①文「のびのびと見事な筆はこび、その気品」、第3段落の漫画、第4段落のアニメについての指摘、第6段落の⑦文「見事に表現している」などです。
仮説4について自分の意見を持つときのポイント
→文章全体の論証を確認しながら、仮説に納得できるか・できないかを考える
上記で述べた通り、「人類の宝」であることの論証は第9段落以外でもされています。それらを確認しながら、仮説に納得できるか・できないかを一人一人が考えていきます。
単元の発展として、次のような言語活動を計画することもできます。
・筆者の表現の工夫や説得の工夫を真似しながら、『鳥獣戯画』の別の箇所の解釈(論説)文を書く。
・筆者の表現の工夫や説得の工夫を真似しながら、自分の好きな絵(絵画や漫画など)の解釈(論説)を書く。
「『鳥獣戯画』を読む」吟味よみの板書案
第5段落の説得の工夫を読み取る授業の板書です。
📕注:本文は、小学校国語教科書『国語六』(光村図書出版,2015年)による。